ユニークさはどうして見過ごされるのか

投稿日: カテゴリー: ブログ

uni’que CEOのwakaです。

昨日、こんなツイートをみてほんとその通りだと思いました。

 

ユニークネスは隠れている

企業やチーム(最近は個人の依頼も多い)のコアバリューカウンセリングというのをしています。

自分たちの「ユニークなもの」に気付くプロセスをお手伝いする、助産師みたいなものなのですが、
回を重ねるごとに思うのは、「ユニークさ」ってほんと見過ごされがち、ということ。

今回は、ユニークバリューがなぜ見つからなくなるのか、その罠について、ちょっと書いてみます。

ちなみに「ユニーク」とは目新しさ、ではなく”そのもの本来のならでは性”を指します。

 

経験上、ユニークさが見えなくなっているケースには大きくは3つあると思っています。

(1)並列の呪縛:複数のことに序列がつけなれない、選択ができない

(2)規模の呪縛:ぱっと見大きなもののを大事だと思ってしまう

(3)常識の呪縛:特徴を改善すべき欠落と思いこむ

 

(1)並列の呪縛

たくさんの特徴と思われる(思いたい)ことがあって、どれも捨てられず、一つに絞れないケースです。

あれもこれも、となると焦点がぼやけて、ユニークさが見えなくなる。捨てるのが怖いんですね。

これをAとBどっちか一つだとどっちを捨てますか?という問いをしながら研いでいくわけです。断捨離。

なんというか、砂浜での棒倒しやジェンガのイメージでしょうか。一個ずつとっていくと、ここは取っても平気だけどここ取ると倒れる、というポイントが見えてくる。それが無くなると自分でなくなるような自分性、というのがユニークさなのです。

 

もうちょっと詳しく言うと、どっち捨てますか?と聞きますが、必ずしも捨てるわけではありません。逆説的ですが、捨てられないものがわかれば他の性質もそれを強化するために活かせます。ユニークさの重心がわかればこそ、掛け合わせもできるわけです。

AとBという要素があったとき、「AまたはB」はだとぼやけるのでだめで、「AかつB」になるとクリアになっていく、そんなイメージでしょうか。足し算ではなく掛け算というか。

 

たとえば先日、唐津市の職員や市民のみなさんと街のユニークさを探るワークショップをした時のこと。最初はやっぱり「歴史も、自然も、美味しいものもある。なんなら最近ならユーリ!もある、なんでもあります」という風になる。このように並列するとユニークさがぼやけてきます。

ちょっと変な例ですが、美味しいカレーが作れます。美味しいうどんが作れます。じゃあカレーとうどんを出す店をだそう、だと何の店だかわからない。うどんがメインと決まればこそ、カレーをサブに活かして「カレーうどん」が看板メニューになるわけです。逆にカレーが本業なら、カレー屋さんのメニューのなかに「うどんカレー」があったらユニークですよね。

 

(2)規模の呪縛

 

カウンセリングワークをする際、冒頭でかならず言うルールの中に「多数決をしない」というのがあります。

大きく明るい星のとなりの小さな星はみえづらくなってしまうように、規模の目くらましで見えなくなるケースがあるからです。

ユニークさ、というのはなかなか繊細なもので、パッと見てすぐわかることではなかったりします。

多数が賛同する事柄だったり、企業でいうと売上の大きい事業だったり、見えやすいものを信用してしまうわけです。ですが、みんなに見えていることが本当のユニークさとは限りません。

 

唐津市でいうと「焼きものが有名だよね」とか「歴史的な建物があるね」っていうのが一番多く出てくるイメージだったりします。ですが、みんなが思いつくものは概念として大きくなりがちで、実は他にもあてはまったり、後天的に付加された、本来の性質ではなかったりします。個人でいうと学歴みたいなもので、◯◯大をでてます、というのはファクトではあるけど、ユニークさではない、という感じでしょうか。

大きいものや多数に惑わされず、小さな声にも耳をすまして「それは◯◯ならではの性質か?」と問うのが大事です。

一見ちょっとしたことだけどそれこそがユニークさなことは多いです。神は細部に宿る、のと少し似ているかもしれません。

 

(3)常識の呪縛

ワークではまた、「他になくて自分たちにあるもの」だけではなく「他にはあって自分たちにないもの」を必ず問います。

ユニークさ、はある種の欠損であることも多いからです。

ひとの脳は「いいこと」を考える時、実はあまりバリエーションは出ません。「真・善・美」というように、いいことは一つを志向するからです。逆に、ユニークなものは「悪いこと」の中に出てくる。女性に好きなタイプを聞くと「優しい人」とかしか出てきませんが、逆に「それゼッタイムリ!っていう人は?」と聞くと実にいろんな意見が出てきます。

ティナ・シーリグのd-schoolの講義に「最悪の家族旅行を考える」というのがあってこれがとても面白いのでよかったら見てみてください。

 

そして、こういった欠損は多くの場合、特徴値としてニュートラルにすら捉えられていず、改善すべき課題のように考えられがちです。

これは減点主義の教育や(問題そのものを疑うことはしない)問題解決型ロジカルシンキングで染み付いた癖でもありますが、欠損を埋めるとかえってユニークさを失うことに向かうケースも多いのです。センター試験で全教科満点取ろうとするようなものです。

唐津市のケースでは、「ないもの」を問うた時に、「統一感」という意見が出ました。「歴史的な建物が沢山あるけど、統一感がなくバラバラだ」と。そしてそこには暗に「治さねばならない」という暗黙の思い込みがありました。これは問題だ、だめだ、という空気。

ですが、裏を返すと、それがとてもユニークな特徴だったりします。バラバラだからこそ「小さな街でいろいろな時代をタイムスリップするように楽しめる」というユニークさ。京都のように整然とした歴史性とはちがう、雑多な、面白さ。それは統一すると失われてしまうかもしれない。

 

 

ユニークさがなぜ大事か?

このようにユニークさとは一見するとニッチで、小さく、欠点に見えるものだったりします。そのため見過ごされているケースがとても多い。そして特筆すべきところのない、取るに足らないことに思えるので、特に自分たち自身とって一番気づき辛い。(なのでそのお手伝いが必要なわけです。)

そしてユニークさが見過ごされがちなのは、裏返すとより多く、大きく、欠点のないものがより良い、という考え方にとらわれてきたということの名残です。

モノが不足していて、より多くの消費に向かっていた時代はそれがフィットしていました。uniqueであるよりはgeneralであること、普遍性や同質性、それによる代替性は量を産むために効率がよいからです。

ですが、社会が成熟し、ニーズが多様化し、コト消費へと時代は変わりました。

 

自分のユニークさを見つけ、それを羅針盤とすること。本当に自分が一番走りやすいフォームをみつけること。

ユニークさがわかると、楽に走りながら、トップスピードが出るようになります。だから走るのが楽しくなる。楽しいのでもっと走る。

ちょっとしたことですがそれだけでスパイラルがポジティブなものに変わります。そういう根っこのところがカチッとはまるような瞬間に立ち会えるのがこの仕事の醍醐味です。

 

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