ふくぎょうやはたらきかたかいかく、について思うこと

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こんにちは。

以前もちょっと書いたんですが、uni’queは『全力複業カンパニー』を目指しております。

 

このところ、複業(というか企業だと「副業」とされることが多いですが)も許可してくれる企業が増えてきました。

素晴らしいことだとおもいます。とてもよい兆候

 

ただちょっとだけ、なんか変な方向にいかなければいいな、と思うところがあるので書きます。

ちょっとだけ、と言いつつ長くなったらごめんなさい。おじさんとはそういうものです

 

 

「業」ってなんだ?

全力複業カンパニーであるuni’queには、複業をしていなければjoinすることができません。

これは、複業をしていても事業は成功できるのだ、ということを証明して、「量」の呪縛に風穴を開けるための試みなので、

たとえどれほどスキルがあろうが、想いを持ってくれても、複業をしていなければ足切りとなります。複業してからきてくださいねと言われます。

これは CEOであろうとおとといきやがれてめえ。と言われるので、僕も複業先がきまってよかったです。あぶないあぶない。

 

ただ、uni’queの場合、複業といっても、そこには「ママ業」や「学業」も含みます。

というかむしろ、そういうものとの複業をもっと認められる環境にしたくてのチャレンジなので、そちらが本丸だったりするんですけど。

 

僕はわりと長いこと、インターネットとかモバイルのサービスの立ち上げをしてきました。で、そういうとき、結構この、「業」に阻まれることが多い。

ヘルスケアのサービスをしていたときには「医業」だったり、民泊とかなら「旅行業」とか。

C2Cのサービスをしていると特商法というのがあるんですが、「業として」という言葉によく出くわします。

 

 

「業として」ってなんだ?

 

「業」や「資格」というのはもともとは、クオリティを担保するための保証のために生まれたものでしょう。いわゆる「プロ」

「プロ」という概念は、インターネットを通じて境界があいまいになってきました。Youtuber、クラウドソーシング、タイムチケット、etc.

 

「働き方改革」ってバズワードのようになっているけど、「業ってなんだ?」「仕事ってなんだ?」「働くってなんだ?」という観点が抜けていると

違う方向にいきかねないんじゃないかな、ってちょっと思うんです。

 

 

To be “paid” or not to be, that’s the problem.

副業禁止の大企業では、「お金をもらっているか」というのが副業かどうかの判断基準となるケースが多い。

で、実態としてなにが起こるかというと、それでもやりたいことをやりたかったら、お金をもらわないしかない、ということが起こる。

(これはマネージャーもしらないわけじゃない。なのにそういうことが起こる)

 

一方で、副業OKにした企業でも、「就労実態の把握のため」とかいって、”報酬を得ている仕事”を管理しようとする。

たしかに過労死とかもあったり、健康とか大事だし、そういうサポートは大事だ。上場していれば監督庁からもそう求められよう。けれど、管理ではなくサポートであってほしい。

この場合も多くの場合、申請や管理が面倒で、副業はステルス化する。結果としてなんらのサポートもできない。ここ30年言われてきた、時間外労働減らそう、というのとおなじことだ

 

 

たしかに副業のしすぎで本業に支障が出ると困るだろう。しかも万が一、それで倒れて過労死とかなったらたいへんなことだ。

 

けど、それがなぜ”報酬を得ている仕事”の実態調査だけなのか???

赤ちゃんの夜泣きで3時間おきにおきなきゃとか、介護がたいへんとか、そういうのはいいの??

 

そういう環境の中で、なんとなく今起こり始めていることは、

とてもよい活動をしているのに無給でしかやれなかったり、結局はステルスで働いてこの事業やっているんだって言えかったり、寝る暇もなく働いているのに、会社にコミットしてないとか言われたり

 

 

それってなんだろう、っておもう。

 

 

 

「働く」の定義を考えない、疑わない、「働き方改革」ってなんなんだろう。

 

というかそもそも「働く」ってなんだろう。

 

 

勤労する国民

話は変わるけれど、Tokyo Work Design Weekというのを主催している横石さんという方がいて、

先日、その方があるイベントの時に、とてもはっとしたんだけれど

 

「国民の3大義務って知ってますか?

日本国憲法に謳われている3大義務の中には『勤労』っていうのがある。こんな国ってめずらしい。」

 

とおっしゃったんですね。

(念のため言っておくと、横石さんはそれをとてもポジティブに、勤労に感謝するってすてきじゃないですか、っていう意味で言ってて、それが素敵な考え方だなとおもったんですけど)

 

 

そうかほんとだな、考えたことなかったけど、たしかにめずらしい、と思って。

憲法で定まってるから日本人は勤勉で、だから働きすぎるし、過労死とかあるし、義務だからやべえんじゃん、と一瞬思ったのですが、

その時に逆に考えたんですね。

国民の「義務」だということは裏を返すと、みんな勤労してるってことなんだなと。

 

報酬を得ていようがいまいが、それが家族のためだけであろうが100万人のためであろうが、もしかしたら自分のためだけであろうが、みんなすべからく『勤労』しているんじゃないかなと。勤労してるひと/してないひとってあるのかと。

 

資本主義から評価経済に徐々に移行している、と言われる。お金のために仕事をする以上に、感謝や評価がたまっていく、そういうのが重視される社会に徐々になりつつある。

けれどそれでも、まだ、この「経済」というのがつくのがちょっとした罠なのかもしれない。

どうしてもそれを「お金」でしか換算してない。勤労にはお金がつきまとう。

 

 

 

もちろん、同じく国民の義務のなかには「納税」があるし、お金って大事だ。

これからは金なんて捨てて、信用や物々交換でいきていけ!ということをいいたいのでもない。(捨てるくらいならなるべくください。ちょう助かります

 

 

お金は、便利なツールだ。けれどたかがツールだ。

法律や制度は、便利なツールだ。けれどたかがツールだ。

 

勤労は義務である、という横石さんに、ちょっと意地悪な質問をしてみた。

「勤労は変わってくる気がしています。勤労の定義ってなんでしょうか?お金を稼ぐっていうことなのでせうか?」

そのように問うた。

 

そしたら横石さんは

「定義、っていうのは難しいですね、、、なんか、、、

でも昔ウィリアムモリスっていうひとがいて、『我々はパンだけでなくバラも求めよう』と言ったんですね。なんていうか、そういうのもいいなっておもいます」

とおっしゃいました。

 

 

勤労にはいろんなかたちがある。

 

そう思えることが、複業とか働き方改革なのではないだろうか。

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