uni’queが教育とコラボする理由

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先日発表させていただいたように、本日からuni’queは愛知淑徳大学と産学連携授業を開始しました。

YourNailを題材に、ネイルを新たなメディアとして捉えた「新しいネイル文化」をメディアプロデュース学科の学生のみなさんと考えていきます。

 

実はこの取り組みは単なるPR目的のコラボや、単発の取り組みではありません。

 

これまでも、聖光学院の『winter business challenge』で審査員をさせて頂いたり、実践女子大の松下ラボで『why me?』ワークショップをしたりと教育関連の取り組みをしてきました。また後日アナウンスしますが、すでに別の産学連携プロジェクトも動いています。「女性の感性」「複業」とuni’queのもう一つのテーマ、それが「教育」です。

今日は、ファッションテックスタートアップがなぜ関係なさそうな教育関連の取り組みをするのか?ということを少し書きたいと思います。

 

「正解」を求めるレース

NTTドコモやDeNAで、新入社員やインターンのメンターや先生役をすることが沢山ありました。そしてその時、彼らに徹底して言っていたのは「それはあなたの意見なのか?」ということでした。

NTTドコモやDeNAには、東大京大早慶をはじめ、本当に優秀で高学歴な新入社員がたくさんいました。ビジネス提案や改善提案をさせたりすると、それはもうすごいスピードで情報を理解し、整理し、綺麗なプレゼンテーションに仕立てました。

決算資料を読んで、業界の課題を抽出し、それに対する打ち手を考え、これくらいの効果があり、ただしこんな実現のためのハードルがります、とストーリーに組み立てていくさまはそれはもうコンサルのようで、舌を巻いたものです。

 

しかし、彼らの提案は往々にして、どこかで聞いたような話だったり、みな同じような提案であったりしました。

「あなたの提案には”あなた”を感じない」。そういって何度も何度も、提案を突き返しました。それでもなかなかその意図は伝わらず、「どう直せばいいですか?」とか「こういう風にすればいいですかね?」と、答えを求められました。

「その答えを僕が持っていると思う?」

社会において、ビジネスにおいて、これは、という正解はありません。上司や先輩も持っていないし、そもそもそんなもの存在しない。仮説として立てて、想いを持って試すしかない。

これまで、受験や勉学では必ずどこかに用意されていた「正解」を当てるという競争を頑張って勝ちぬいてきた彼らに、「正解はない」ということを実感をもって感じてもらい、頭を変えさせることはとても難しいことでした。

ユニークさが消える国日本

そしてこれは「ゆとり教育」のせいだ、とか、若い人に限った話ではありません。

企業の新規事業のアドバイザリーや、そのコアバリュー策定のファシリテーターをさせていただくことが度々ありますが、その際に一番大事にしているのは「ユニークさ」です。しかし、これがなかなか出てこない。

どんなチームや企業でやっても、最初に出てくるコアバリューはやはり、どこかで聞いたような、ありがちなバリューになってしまう。僕のメソッドではそれを「世界平和バリュー」と呼んでいて、真のコアバリューだとは認めていません。他にも当てはまるものは、なにか借り物のバリューだからです。

ユニークな真のコアバリューは時になかなか見つかりません。そして見つかってみると、それは一見、直すべき「欠落」や「欠点」と認識されているケースがとても多い。「欠点」と思われたことを直そうとすればするほど、他にもあるような、どこかできいたことのあるような事業やバリューになっていく。尖りがなくなって、丸い石になってしまう。

企業の役員クラスや、一線級で活躍するエース社員、新規事業に関わるような尖った社員を集めても、最初はそうなることが多い。蓋然性が高く、一般に「いい」と思われるようなもの、そういうものに行ってしまう。これは日本社会ではものすごく根深い重力なのだ、と毎回痛感します。

蓋然的なものはユニークさがなく、他社でも代替可能なものです。成熟市場において、事業やサービスはユニークでなければならない。そうでないとコモディティに堕し、いつでも取って代わられるものになってしまう。

そういう意味で、「ユニークさ」というのはバリューそのものであり、企業の存在意義そのものなのだと考えています。

 

「ユニークさ」を教育する?

画一的な「正解」を超えて、「ユニークさ」が生まれるためにはどうしたらよいのでしょうか?

果たして、「ユニークさ」を教育するということは可能なのでしょうか?正解をではなく、個性をどうやって教育することができるのでしょう。

 

先日、六本木アートカレッジというイベントで、映画プロデューサーの川村元気さんと森美術館の南條館長のお話を伺う機会がありました。クリエイティビティはどのように生まれるのか、というパネルディスカッションだったのですが、その時、僕はこんな質問をしました。

「クリエイティビティを教育することは可能か?可能だとすればどのようなものか?」

クリエイティビティや個性、というのは、本来その人にしかないものです。それを教える、というのは原理的に矛盾する。そのための教育はどうあるべきか?

 

そこでのお二人の答えをもとに、僕はこれからの教育に重要なのは以下の二点だと考えています。

  • 問いを「問い」として問うこと
  • 個を引き出す「きっかけ」をつくること
問いを問いとして問う

南條さんがアートの授業をしている時、アートというのは開かれていて、作品には多様な解釈がある、という話をする。

すると、日本人の学生はだいたい、「で、どれが正しい解釈なんですか?」と聞くらしい。アートには正解はない、アートはある意味で「問い」だ、と南條さんは言います。僕もアート研究をしていたのですが、それは「問い」としてのアートというものにとても惹かれたからでした。「正解」を前提とせず、「問い」を「問い」として提示し、それを考えること自体を楽しむ、「問い」としての教育が、これから重要だと考えています。

 

個を引き出す「きっかけ」をつくる

こちらは川村元気さんの回答から。元気さんはいまEテレで「オドモTV」という、子供が原作となって、大人と共同して作品をつくる、という試みをしています。

この中のコンテンツに、子供が自由に走ったり跳ね回ったりする、その動きをダンス作品にする、というものがあります。子供に自由に動いてもらい、その動きをperfumeの振り付けで有名なmikikoさんがトレースしつつダンスにしていく。

 

この時、ただ子供に「自由に動いて」といってもその子らしい動きは出てこないそうです。

そこで、mikikoさんが「あっ、床が熱いよ!」とか「すごい滑る床だ!」と声をかける。そうするとそれをきっかけに、子供が動き始め、夢中になって動くそこにその子らしさがでてくる。

これは個性やクリエイティビティについて、とても重要なポイントだと思っています。真っ白な画用紙を渡されて、さあ自由に、といっても個性はなかなか出てこない。ある種の制約や枠組み、そういうものがきっかけとなり、クリエイティビティが生まれる。そしてそういう引き出すきっかけを作ってあげることが、これからの教育なのではないか。

 

教育に必要なのはティーチャーではなく、ファシリテーター

この二つのポイントを考えると、「教育」といっても、大人が、(先に生まれた)先生が、なにかを「教える」という考え方自体が、ユニークさやクリエイティビティの教育には逆効果なのではと思い至ります。

大事なのは、問いをなげること、そして個を引き出すようなきっかけをつくることです。

僕自身、コアバリューのファシリテーションをしている時意識しているのはまさにその2点なのですが、その根本にあるのは、答えはこちらがもっていたり与えられるものではなく、本人たちしかもっていない、そういう信念です。そしてそういう意味では、これからの教育に必要なのはティーチャーではなく、ファシリテーターではないか、と思っています。

そういうきっかけになることこそが大事で、教える側は偉ぶって上から話したり必ずしも「すごい」と尊敬される必要すらないのではないでしょうか。自分たちも正解をもっていない、未来の正解を引き出せるのだとすれば、先生は道化でも反面教師でもよいとおもいます。

 

世界をユニークにする

uni’queは女性の感性をいかした事業をつくる、というのをメインの事業としていますが、社のビジョンとしては「世界をもっとユニークに」というのを掲げています。

 

ユーザーひとりひとりが自分好みのものを作れる世界をつくる。
企業のユニークなコアバリューを探すお手伝いをする。
そしてユニークさを引き出す教育を考える。

 

振り返ってみると、どれも「ユニークさ」にまつわる活動をuni’queはしているようです。

 

そして、教育について、もう一つ重要だと思っていること。

それは「社会と接続する」ことです。箱庭を出て、正解のない社会になるべく早く触れ、そのなかでもがくこと。

 

産学連携のプロジェクトをやっていくのは、そんな想いからなのです。

教育関連でご一緒できることがあれば、ぜひやりたいです!お気軽にお声がけください!

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